経常利益率は10%なければならないのか?

日本の253万社のうち、70.3%が赤字なのは日本の法人税率が高いというのも一つの原因かもしれません。しかし、実はここに経営理念が大きく関わっていると思うのです。税金が高いから払いたくないと思うその心が、儲かったら社員にボーナスを払えばいい、この際だから広告を出しておこう、交際費を使おうという思いになるのです。

つまり、それが経営理念とつながっているのです。税金を逃れようという思いが、本来なら経常利益10%が出せるところを、2%、3%という数字にしてしまうということなのです。

利益には2つの意味があります。一つが守り、もう一つが攻めです。

守り守りとは、いざというときのために蓄えを取っておくという考え方です。先ほどお話した「内部留保」です。

例えば、社員の賃金の上昇ということもあります。100人の社員の平均給与が400万円なら年間4億円の人件費がかかっていることになります。その4億円の賃金が仮に10%上昇すれば4000万円のコストが増加するのです。そのことに対して準備をしておく必要があります。また、飲食店であれば、食中毒が起こることがあります。生モノを扱うお寿司などはなおさらです。仮に食中毒が起これば、業務停止が1週間、2週間となり、月の売上が半分になっても、コストだけはずっとかかり続け赤字に陥ります。

こういった不測の事態に対して「守る」ために高収益を出し続け、社内にいつでもその不測の事態に対応できるキャッシュを持っておく必要があるのです。

攻め攻めとは、前向き積極的な利益の使い方です。たとえば、自分の持っている店舗の隣に、たまたま土地を売りたいという人が出てきた場合や、新しい工場をつくり、設備投資をするといった攻めの経営を展開したい場合に対応するための資金を手元に持っておくということです。

銀行からの借入れだけではなく、自社でキャッシュを持っていることによって、余裕がある対応をすることができるのです。利益とは、働いた付加価値を測るものであり、自分自身の経営を守るものであり、攻める経営をする場合に必要となるものといえるのです。したがって、経常利益10%というものが必要となるわけです。

「セルフイメージ」という言葉があります。自分自身をどう思っているかということなのです。たとえば、年収1000万円の人は、仮に職を失ったとしても、またいつの間にか年収1000万円になります。これは、本人が居心地のいい世界、自分自身が持つ居心地のいい世界に戻ろうとするからなのです。自分自身が持つイメージは年収1000万円だと思えばそこに行き、自分自身の年収が2000万円だと思っている人は2000万円となります。これとまったく同じことが企業にもあるのです。

経常利益は特にいらない、トントンであればいいと思う人はそうなるし、3%でいいと思えばそうなり、10%必要だと思えばそうなっていくわけです。これが心理学でいうセルフイメージというものであり、また、言葉を換えれば理念、考え方ということができるわけです。

世界的ファンドであるテマセク・ホールディングスや、カルパース(カリフォルニア州職員退職年金基金)などは、年間の平均利回りが10%で回っているそうです。つまり、働かなくても10%の金利が付いているということです。日本ではここ10年以上低金利ですが、世界では5%、10%で回っているファンドというものが存在します。もし企業が全社員の力を合わせ働いても、経常利益、つまり生んだ付加価値の最後が1%までないというのであれば、逆に働かずにそういったファンドに預けておいたほうがいいのではないかというような思いも出てきます。

したがって、社員全員が努力をし、英知を結集し、働いているのであれば、経常利益は10%を目指してほしいのです。高収益というのは悪ではなく、正々堂々と追求するものであります。不当な利益を得ることは罪ですが、社員全員が努力をしてつくり上げた付加価値、つまり利益は尊いものであると思います。

企業は赤字を出してもいいのか?

日本の企業の70.3%は赤字です。いろいろな理由があると思います。でも、本当に赤字でいいのでしょうか?(「平成24年度会社標本調査」国税庁より)

松下幸之助氏は、赤字は罪悪であるといいます。「天下の金・人・物を使う企業は、それに見合うだけの社会的プラスが、初めから予想されていると考えるべきである。それが十分にできないのならば、いさぎよく人と金を社会に返して、他にもっと有効に活用してもらうことを考えたほうがよろしい。ましてや、企業が赤字となれば、これは単にその会社の損失というにとどまらず、社会的に見ても大いなる損失である。赤字を出したからといって、その企業が法的に罰せられることはないが、私は、その企業は社会に対して、一つの過ちを犯したのだという厳しい自覚をもって然るべきだと考える」
(松下幸之助/『なぜ』PHP文庫)

「利益が出たら税金なんか払うより、社員にボーナスで払いたい」という人もいるでしょう。しかし、そういう経営を続けているといざというときに給与が払えなくなることがあります。売上3億円、利益はトントン、つまりほぼゼロ、という経営を続けてきたある人柄のいい経営者、田中さん(仮名)がいます。田中さんはまさに、「利益が出たら税金なんか払うより、社員にボーナスで払いたい」という経営をしてきました。しかし、ある年に売上が3000万円、つまり10%ほど減り、社員にボーナスが払えなくなります。いろいろ手を打ってもどうにもならずに、結局、自分の貯金の中からわずかながらボーナスを払うことになりました。

経営はいつでもいい状態でいられるわけではありません。1年に四季があるように経営環境にもいい時もあれば悪いときもある、というアップダウンを繰り返します。その悪いときのために、会社に蓄えをつくっておかなければならないのです。松下幸之助氏の言う、「ダム式経営」です。

いまの日本の税制では売上100億円で、利益が10億円(10%)でれば、おおざっぱに言うとその50%の5億円を税金で持って行かれます。なので、会社に残るのは5億円です。売上3億円で利益が10%の3000万円出たら、手元に残るのは1500万円です。それが会社に残る「内部留保」と呼ばれるものになります。この出た利益の半分の額を毎年毎年少しずつ積み重ねた結果が「内部留保」となるわけです。会社が出した利益の本当に使える「貯金」と思えばいいのかもしれません。

その本当に使える「貯金」=「内部留保」が、仮に10年経営して1500万円ならば、1年で150万円しか社内に貯金(内部留保)できなかったということです。社員が15人いるとして、ボーナスを10万円ずつ支払いたいとすれば15人×10万円=150万円になるので、1年分の内部留保がなくなります。

だから、税金なんて払わずにそのときそのときで社員に給与で払ってあげたほうがいいじゃないか、という考え方もあるでしょう。しかし、そうしているうちはいつまでたっても内部留保ができません。つまり、ダムの中に水がたまらないのです。そうではなく、正々堂々と利益を出し、税金を払うことが会社の経営を安定させるのです。

経営理念の中に、
「社員を守るために、正々堂々と利益を出し、税金を払う」
「社員を守るために、必ず、キチンと給与とボーナスを支払う」
「社員を守るために、経常利益率10%を出す」
という経済的なフィロソフィ、哲学が必要になってくるのです。

「社員を幸せにする」といいながら、給与を払わずにいるということはできないのです。社員が生活をしてゆくためには、経済性の追求が必要となってくるのです。だから、経営理念の中には、きれい事だけではなく、「社員を守るために、経常利益率10%を出す」というフィロソフィが必要になってきます。

経営理念の一番上に、「経常利益率10%を出す」ではないのです。経営の目的は「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」です。しかし、その社員の幸せと、社会の貢献のために、経済性の追求が必要になります。(1)人間性の追求、(2)社会性の追求、そのための(3)経済性の追求が必要になってくるのです。その一つの指標が「経常利益率10%を出す」となるわけです。

経営と利益のレベル

利益のレベルを3段階で考えましょう。

(1)赤字
(2)収支が0円(いわゆる、収支トントン)
(3)黒字

松下幸之助氏が言ったように、(1)赤字は罪悪です。しかし、日本の企業の70.3%は赤字です(「平成24年度会社標本調査(法人企業の実態)」国税庁より)。こう見ると10社のうち7社が赤字で、松下幸之助氏の言う罪悪を犯しているのかもしれません。また、(2)収支が0円(いわゆる、収支トントン)という企業も多いと思います。

世界的に見ても高い実質法人税率(38%)のためという意見もあります。たとえば、「利益が出たなら税金で払うよりも社員にボーナスで払ってあげたい。そのほうが社員が幸せだから」という意見もあります。また、「税金を払うくらいなら、広告や販売促進、それに必要なもの、欲しかったものを買っちゃえ」という考え方もあるでしょう。まさに、ここに価値観、経営理念が現われています。

10億円の企業の経常利益が10%、1億円の利益が出るとした場合、おおざっぱにいうと、その半分の5000万円が税金となり、その残りの5000万円が会社の中に残ります。これが「内部留保」と呼ばれる、実際に会社が自由に使えるお金です。つまり、(3)黒字で税金を納めている状態でないと、自由に使えるお金が蓄積されていかないのです。ですから、(1)赤字、(2)収支が0円(いわゆる、収支トントン)の企業は内部留保がない状態です。

たとえば、リーマンショックのように突然の不況が訪れたり、重要な得意先がなくなったりした場合には売上が半分になるということも起こりえます。そうなると、内部留保のない、いつも①赤字か(2)収支が0円(いわゆる、収支トントン)の企業は社員に給与を払うことができません。それは「不況だから仕方がない」ことなのでしょうか?蓄えがないのは「やれなかったのか、やらなかったのか」どちらでしょうか?

そこに経営理念、考え方、信念が現われます。決して日本の税制の問題ではないのです。経営者の考え方一つなのだと思います。「何を言っているんだ、銀行から借りればいいじゃないか」と思われるかもしれません。しかし、借りたお金は借りたものであって、自分のものではありません。つまり、それは会社の本当の実力ではないともいえます。利益が出ていないのに、「銀行から借りられるだけ借りておけ」と考えるのはリスクがあります。

ある日、お金が借りられなくなる、または借りているお金が返せなくなるという日が来れば、会社は倒産します。無借金でいることだけがいいともいいません。しかし、赤字の状態で実力以上の借入れをし続けて会社が良くなるわけがないことはわかってもらえると思います。借金をすることにも経営理念が必要なのです。

社員の物心両面の幸福を目指すのであれば、(3)黒字企業でなければいけないのです。どんなにきれいな経営理念を唱えても、黒字でなければ社員に給与を払うことができません。利益を出すことは悪いことのように世間では言われますが、決してそうではないのです。全社員が努力をして、成長をして、新しい価値を生み出すことは悪いことではありません。

そうではなく、努力もせずに、いつまでも同じ仕事だけをして、価値を生み出さずに、顧客からお金を奪うような仕事をすることは、罪悪なのだと思います。たしかに世の中には、既得権にあぐらをかいて、やるべきことをせずに上澄みをすくうような仕事をする組織もあります。しかし、会社の目的は世の中に貢献することです。

努力をして価値を生み、正々堂々と利益を出すことを貴ぶ価値観、考え方、経営理念をもって欲しいと思います。「常に新しい価値を創造しよう」「誇り高い仕事をしよう」「正々堂々と利益を出そう」といった経済的価値観を経営理念の中に持ってほしいのです

経営理念と赤字

「企業が赤字となれば、これは単にその会社の損失というにとどまらず、社会的に見ても大いなる損失である。赤字をだしたからといって、その企業が法的に罰せられることはないが、私は、その企業は社会に対して、一つのあやまちを犯したのだという厳しい自覚をもってしかるべきだと考える」(松下幸之助/『なぜ』)

会社とは幸せを実現するための道具です。社員が幸せになるための組織です。社員の物心両面の幸福を追求するためには、まず物心の「物」、つまり生活を安定させる経済的な豊かさが必要となります。

したがって、企業は収益を出し、社員に給与を支払わなければならないのです。そのためには企業は黒字である必要があります。赤字となれば社員への給与が払われなくなる。それでは社員の幸福を実現することができないからです。ですから、企業は社員を幸せにするためにも、会社が存在する意味を持つためにも黒字でなくてはならないのです。しかし、この視点は自分の側の視点です。一人称の視点ともいえます。

それをさらに別の視点、社会の視点から企業を見ているのが松下幸之助氏です。つまり、世の中にとってどうかという三人称の視点です。

企業とは公の器、社会の公器である。したがって、そこで使われる土地、建物、商品、そして働く人や働く人が使う時間までもが社会の資源と見ることができます。ある意味では、日本国の財産です。その資源を経営に使って赤字を出すとは何事かと言っているのです。たとえば、そこで使われた人や時間を別の会社で別の仕事に使っていたら、もっと生産性の高い、付加価値のある仕事ができたのではないかということです。

赤字企業で働いていたがために、価値ある資源が無駄に使われてしまったことになる。もし高収益企業で働いていたなら、より高い生産性でより付加価値の高い、より人に喜んでもらえる仕事ができたのではないかということです。

田中さんが赤字企業A社で働いた10年間と、黒字企業B社で働いた10年間では、本人の幸福度も社会的貢献度も違ってくる。黒字企業B社で働いたほうがより多くの物的幸せを手に入れ、より高い生産性でより多くのものを生み出したとすれば、赤字企業A社は「社会に対して価値を生まなかった」という過ちを犯したといえるのではないかということです。

つまり、企業を経営するということは、社長個人の好き嫌いを通り越して、社会的な影響をつくり出すのです。企業が大きくなればなるほど、社会的影響が大きくなり、いい方に働けばよりいい影響になり、悪いほうに働けばより悪い影響を生み出すのです。

したがって、企業は黒字でなければいけない、赤字であることは罪悪であるという考え方、強い信念を持たなければならないのです。「われわれは高収益企業を目指す」「われわれは赤字を罪悪と心得る」という経営理念があってもいいのかもしれません。

理念とは「こだわり」なのか?

私の友人が社長をしているIT企業の鈴木さん(仮名)が、私の勉強会に参加してくれたときの話です。勉強会、懇親会が終了した後の駅に向かう道で、たまたま鈴木さんと一緒になったときに話をしたら、来月から役員になるといいます。「それはよかった、がんばってくださいね」と言って別れようとしましたが、どうしても気になってしまって余計なことを言ってしまったのです。30代後半だという鈴木さん彼は青いスニーカーに、すり切れたジーパンを履き、よれよれのTシャツを着て、髭を生やし、髪もぼさぼさ。

一方、社長はいつもスーツをきちんと着てさっぱりした格好をしています。鈴木さんは人柄がいいのですが、やっぱりその服装が気になります。鈴木さんは勉強会の時も一番前に座って、熱心に学んでいました。一緒に歩いていても「とても勉強になりました。これからもがんばります」と素直な感じです。仕事は何をしているのかと彼に聞くと、「CTO」(chief technical officer:最高技術責任者)とのこと。いわゆるIT企業の技術のトップでした。技術者でもあり、だんだん社内で偉くなったので、人から注意をされなくなったのでしょう。

服装は経営理念の表われ?「いつも、そういう格好で仕事をしているのですか?」と聞くと、「はい」と答える。「なぜ、その恰好なのか?」と聞くと、とくに理由はないとのこと。

「ならば、その恰好はやめたほうがいい。あなたは来月から一社員ではなく会社を代表する役員になる。一個人としてではなく、たくさんの人に会社の役員として見られることになる。いまのままだと誤解をされる。もし、まったく同じ提案をあなたと、スーツを着た別の人から同時に受ければ、あなたでなくスーツを着た人に、きっと仕事は行く。ここはシリコンバレーではない。日本だ。すくなくとも日本ではそうなる確率がとても高い。この週末に、髪を切り、髭を剃り、新しいスーツとシャツとネクタイそして靴を買いに行くといい」という話をしました。

その後、鈴木さんがそうしたのなら彼の人生は変化をすると思います。彼自身の気持ちも変わり、家族や社員の見る目がきっと変わると思うのです。一番近くにいる奥さんから見ても、服装や髪形が一気に変わるわけですから、何か心の変化があったなと思うでしょう。社員から見ても、役員になってあの人は変わった、と思われるでしょう。そして、その視線や期待を受けて彼自身の行動も変わるはずです。

人は環境に左右される動物です。人は見ているものに似てくる。汚いものを見てだらしない格好をしていると、だらしない生活になります。でも、同じ人でもピシッとスーツを着ていれば気持ちもピシッと引き締まるものです。

もし鈴木さんが、私のアドバイスを軽く受け流してなにもしなかったのなら、それは彼の理念なのだと思います。人はこうしたらどうかとアドバイスを受けて、やらない場合があります。それは、本人が気づいていないかもしれませんが、本人の「こだわり」があるからです。「こだわり」とは考え方です。強い信念とまではいかないかもしれませんが、人から言われても変えないものです。誰にでもあるのかもしれません。

この「こだわり」が会社の風土をつくることがあります。「これが『経営理念』です」と高らかに掲げるものではないけれども、会社の中に明らかに存在する、ある「考え方」です。それは、会社の上層部の毎日の小さな判断や行動に出るのです。どこにも文字にはしていなけれども、全社員に影響を与えているものです。

「これがわが社の経営理念です」と額に入れて飾るよりも、もっと影響力の強いものなのかもしれません。「そんなスーツなんか着ていたらクリエイティブな仕事なんてできないよ」と思う方もいるかもしれません。たしかにそういう部分もあると思います。しかし、会社の上層部がよれよれのTシャツを着ている会社は、やはりそういう会社の風土になります。その会社の経営理念が「誠実」や「高品質の仕事」であっても社員が納得をしないでしょうし、社外からもどこかずれているとしか映らないでしょう。

こう考えると、「こだわり」というものは理念をつくり上げるといえます。人の頭の中にある「こだわり」という思考が、その人の行動に表われ、それが社風をつくり上げるからです。だから、「経営理念」と掲げるものは、社長や上層部の本心でなくてはいけないのです。本当に思っているものでなければいけないのです。言っていることとやっていることが違っていると、本人は気づかなくても周りが気づくからです。

社員や取引先、そしてお客様が、「あなたの会社は言行一致していない」と気づくのです。経営理念とは最後の最後は、その人の一挙手一投足に表われる生き様そのものといっていいのかもしれません。

目に見えない「こだわり」が経営理念ともいえる 

あなたの服装はあなたが選択した結果であり、考えが実現したもの、経営理念の表れといえる

会社にまとまりがないのは経営理念がないから中小企業の経営がうまくいかない原因は、社外にあるのではなく多くの場合は社内にあります。世界経済がどう、景気がどう、市場の変化がどうと言ってみても、中小企業にはあまり関係がありません。SWOT分析がどう、バランススコアカードがどう、戦略がどうと言ってみても、それが機能しなければ何も生まれません。

売上数字が上がらないのは、戦略がないからです。
会社にまとまりがないのは、経営理念がないからです。
そして、会社にまとまりがないことのほうが、戦略がないよりも問題なのです。

つまり、社員が一生懸命働いてくれないことのほうが問題なのです。だから、社員が言うことを聞かない、ベクトルが合わないことに注目したほうがいいのです。それを解決するのが経営理念です。社外に原因を求めるより先に、社内でできることがたくさんあるはずです。

長年働いている社員が多い会社でも、一人ひとりの価値観がバラバラなので仕事をするうえでの判断基準がブレているという会社はたくさんあります。中途採用者が多ければなおさらです。たとえば、「佐藤部長は売上が大切だと言っているが、伊藤課長は利益が何より大切だと言っている」となると、メンバーは迷います。どっちを信じていいのかわからなくなる。この迷っている時間が生産性を大きく悪くするのです。

そしてさらに、「売上重視なら商品A、利益重視なら商品Bであることはわかっている、でも、どうしようかな......。まあ、今回は佐藤部長が言うから、商品Aをやっておくか」といういい加減なやり方になってしまうのです。つまり、経営理念がないために社員が迷います。ベクトルが合わないのです。判断基準がブレているために社員が投げやりになります。そして、社員がついてこないのです。だから、しっかりとした考え、判断基準、つまり経営理念が必要となります。そうすれば社内がまとまり、経営がうまくいくようになるのです。

しかし、考え方、経営理念については、学校でも社会に出ても、誰も教えてくれない場合が多いのです。ですから、多くの人は経営理念の重要性についての理解がなく、経営理念を軽視しがちです。しかし、組織をまとめてゆくには経営理念ほど重要なものはないといえます。

経営理念と経営戦略と実践

経営理念がない、ある、強くある。経営戦略がない、ある、強くある。つまり、3通り×3通りで9通りの図表でつくりました。そしてさらにこれに、それが「実行されている」という軸を置き、実行していない、している、強くしているという3つの視点で見ると、3×3×3=27通りの軸で経営を見ることができます。

これは言葉を換えれば、「心・技・体」の経営だといえます。「心」とは経営理念であり、「技」とは経営戦略であり、「体」とは実行といえます。また、『論語と算盤』(=経営理念と経営戦略)の「実践」ともいえます。この27通りをは表で示すことができます。

さまざまな経営者が、経営理念がある、ないということだけで経営を語ることがありますが、ご存じのように、経営は経営理念だけではできません。経営には「心・技・体」という3つの視点は不可欠です。「心・技・体」の3つの視点から見た、このような27通りの箱の最初は、経営理念もなく経営戦略もない状態から、そして何もしていない状態から始まります。

創業の頃は経営理念も経営戦略もないけれども、めくらめっぽうにとにかく長く働くというのは実行の部分が非常に優れている形態です。理念が先行して手足が動かずに業績が上がらない会社もあります。また、戦略中心に理屈っぽく考えるが理念が欠落している会社もあります。いろいろなタイプがありますが、最初はどれが一番いいということもないのだと思います。

現状から経営戦略主体で動いていく会社もあれば、経営理念を主体で動いている会社もあるでしょう。しかし、たとえ経営理念があり経営戦略があっても実行の度合いが弱ければ、一番上の理想とする「経営理念が強くあり、経営戦略も強くあり、それが強く実行されている」というところにはまだ到達していかないわけです。

経営は経営理念だけで語れるものではなく、経営戦略だけで語れるものでもなく、ただただ実行すればいいというものでもありません。ちょうど将棋の駒を一つひとつ進めるように、この27通りのコマを一つひとつ進めながらいい経営を目指してゆくイメージです。まずは図表を見て、「いまこの27通りの中のどこにいるのか?」ということを確認してみましょう。次の一手は経営理念主体で行くのか、経営戦略主体で行くのか、または実践主体で行くのかは社長であるあなたが決めることになります。

経営理念の6段階

「経営理念がありますか?」と聞かれれば、「あります」という人もいれば、「ありません」という人もいます。しかしそれは、人によって自分自身の中の基準が違っているのです。たくさんの経営者に会って気づいたことなのですが、本人が「ある」と言っても「ない」場合もあれば、「ない」と言っても「ある」場合もあります。それを少しわかりやすくするために、ここで6つの段階に分けて書いてみましょう。

(1)経営理念がまったくない
経営理念など考えたこともないし、これから考えるつもりもない、経営理念など必要ないというレベルです。

(2)経営理念がないが、必要かなと思っている
別に経営理念はまったくないと言い切りはしないが、やっぱりないものはない、という状態。心のどこかで経営理念は必要かなと思っているレベルです。

(3)経営理念が少しある、うすうすある
経営理念はあるといえばあるし、ないといえばないという状態。経営理念はあったほうがいい気がする、経営理念に対する思いは一応あるというレベルです。「経営は利益だけじゃないでしょ、何か人の役に立つとか大切な気がするんだけど......」という感じです。

(4)経営理念がある、心の中にはある
経営理念は一応ある。経営理念はこうだと心の中では思っている。言葉になっている場合もあれば、言葉になっていない場合もある。体系だ立ってはいないので、人にうまく伝えられない状態です。

(5)経営理念が強くある
「経営理念は何ですか?」と聞かれれば、「経営理念はこうです」といえる状態。紙一枚になっている、つまり言語化されているレベルです。

(6)経営理念が非常に強くある
経営理念が手帳となっている状態。自分自身の中でもはっきりしている。全社員で共有されているというレベルです。

ここで、「経営理念がある」と言った場合は、経営理念が言語化されている、「経営理念がない」と言った場合には、経営理念が言語化されていないというふうに分けることもできると思います。つまり、経営理念が「言語化」されているか「非言語」のものかということです。

経営者が「ウチの会社には経営理念がある」という場合は、「言語化」されている場合が多いのです。しかし一方で 「非言語」化の状態、つまり紙に書いているものはないが、社長の頭の中にはあるという状態もあります。一般的には、このように「言語化」されているものが「経営理念がある状態」で、「非言語」のものは「経営理念がない状態」といわれています。そして、経営理念に対する思いの強さをさらに細分化すると、ここに書いたような6段階に分けることができます

経営理念と経営戦略は経営の羅針盤

「論語と算盤」を軸に4つの事象に分けて経営をとらえてみる

『論語と算盤』=経営理念と経営戦略「経営は戦略がなければやっていけない、理念がなければやる資格がない」

『論語と算盤』は、「経営理念と経営戦略」と言い換えることができます。縦軸に経営理念、横軸に経営戦略ととると、縦軸には経営理念がある、ない。横軸に経営戦略がある、ない。このように分けると4つの事象ができます。

(1)経営理念もなく、経営戦略もない。
(2)経営理念がなく、経営戦略はある。
(3)経営理念はあり、経営戦略がない。
(4)経営理念もあり、経営戦略もある。

(1)経営理念もなく、経営戦略もない状態では、経営自体がうまくいくとは思えません。×の状態です。

(2)経営理念がなく、経営戦略はある状態は△です。会社を立ち上げたばかりの状態ではよくあることです。経営理念と呼べるようなものはなく、経営戦略だけはある。どうすれば利益が出て、会社の経営を続けていけるのかということを、考えてやっている状態です。

(3)経営理念はあり、経営戦略がない状態も△です。つまり、経営理念があっても経営戦略がなく、経営はやはり不安定な状態です。理念先行型といえます。

(4)経営理念もあり経営戦略もある状態が理想的といえます。○の状態です。しかし会社を立ち上げたばかりのときには、経営理念があり経営戦略があるというのは、なかなかできないものです。

経営理念と経営戦略の度合いをさらに広げて考えてみましょう。縦軸に経営理念をとり、ない、ある、強くあるの3段階とします。横軸に経営戦略をとり、ない、ある、強くあるの3段階をとります。そうすると合計9通りのワクができます。先ほどの(1)、(2)、(3)、(4)の次いで、より細分化して考えることができます。

(5)は、経営戦略はないが経営理念が強くある。これは○の状態です。
(6)は、経営理念はないが経営戦略が強くある。これも○の状態です。
(7)は、経営理念が強くあり、経営戦略がある。これが◎の状態です。
(8)は、経営理念があり、経営戦略が強くある。これも◎の状態です。
(9)は、経営理念が強くあり、経営戦略も強くある。これは三重丸の状態です。

ここで、9通りの経営理念と経営戦略の関係を分けることができます。

経営理念があり、経営戦略がある(4)と同じように、経営理念が強くあり、経営戦略がない(5)の会社もあれば、経営戦略が強くあるが、経営理念がない(6)の会社も存在します。それぞれ一長一短を持ちますが、それぞれ経営の一つの形です。

(7)と(8)は、(4)(5)(6)がより深化した形です。経営理念が強くあり、経営戦略を持てば、経営が安定します。経営理念があり、経営戦略を強く持っている会社も、経営が安定している状態といえるでしょう。(4)(5)(6)の状態よりもさらに一つステージが上がっているといえます。

さらにその上のステージが、経営理念が強くあり経営戦略も強くあるという状態となっていくわけです(9)。そのように、それぞれのステージが一つずつコマを進めるように上がっていくと覚えておいてください。

(1)→(2)→(6)→(8)→(9)と進む会社もあれば、(1)→(3)→(4)→(7)→(9)と進む会社もあるでしょう。どれがいいということではなく、それぞれの会社の状況によって進み方が違うのだと思います。

論語と算盤=経営理念と売上・利益

「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」 (二宮尊徳)

ここでは一つの視点として『論語と算盤』という切り口で見ていきたいと思います。つまり、経営理念と売上(利益)の関係です。

1.経営理念はない、売上もない
2.経営理念はない、売上はある
3.経営理念はある、売上がない
4.経営理念がある、売上もある(これが、ある意味、理想型)

1.経営理念はない、売上もない
経営理念も売上もないまったく初めての状態です。会社を創業する前の段階といっていいかもしれません。

2.経営理念はない、売上はある
1.の段階から、2.の経営理念はないが売上はある状態になることがよくあります。「とにかく働いてお金を手にしよう。まずは食べることだ。経営理念なんて考えていられない」と考えて、必死に働く創業社長のイメージです。ここではつまり、経営の目的は(2)お金のためという気持ちが大きいのです。

3.経営理念はある、売上がない
1.の段階から、3.経営理念はあるが売上がない状態になる会社はどちらかというと少ないものです。もともと会社をつくるときに「世の中を変えよう!」という気高い思いで創業する人は少数派です。そして、会社をつくって売上もないのに経営理念のことばかり考える人も少ないと思います。「そんなこと考えているより早く売上を立てなさい!」と周りの人に言われるのがオチです。しかし、数は少ないのですが思いが強いので、大化けする可能性も高いといえます。

4.経営理念がある、売上もある
この経営理念も売上もある状態はある意味理想といえます。この状態になるのは2つの道筋があります。1.→2.→4.と、1.→3.→4.です。

1.→2.→4.
これは、売上ができてから経営理念を考えるパターンです。たとえば、売上が1億円、10億円と増えれば社長の生活もある程度安定し、生活もエリートサラリーマンよりも良くなる場合があります。年収も1000万円、2000万円、3000万円と増えていきます。そうなると、脱サラして創業し苦労して会社を大きくしてきた満足感が出ます。「自分も苦労してここまで来た、サラリーマンのときよりもずっと生活が良くなった」と思うわけです。

ある経営者はそこで満足して経営理念なんてものは考えずに、リタイアする場合もあるでしょう。またある経営者は、ここまで良い生活ができるようになったことに感謝をして、ここまで会社を大きくしてくれた社員に感謝をしようと思う場合もあるでしょう。ここが一つの分かれ道になるようです。さらに、経営理念がないけれども売上が50億円、100億円と増えれば、生活をするお金の苦労はほとんどなくなります。事業意欲の強い経営者が「何のために経営をしているのか?」と考え方が変わるのはこういった売上の変化といえます。

売上の変化とは「社会的位置づけの変化」ともいえます。会社が大きくなれば、顧客や仕入先、地域の人からの扱いが変わり、つき合う人が変わってきます。そういった変化が経営者の考え方を変えていくことになるのです。また、売上の変化とは「社員数の変化」ともいえます。人が増え、社長の思いが皆に伝わらなくなることがよくおこります

1.→3.→4.
これは、経営理念を持ちながら売上をつくっていった人です。経営をし、会社が大きくなってゆく過程では必ず経営理念を見直しているものです。経営理念を見直すというよりも、毎日経営をする中でたくさんの事柄に出会い、経営に対する考え方が変化、成長していくのだと思います。たとえば、上場している創業社長の例としてワタミの渡邉美樹氏はこう言います。「居酒屋の経営がうまくいき、収入が上がって、念願の車を買おうと思ったが、なんとなく後ろめたい。なぜかと考えたときにふと思い至ったのは『このお金は自分のものじゃない』ということ」。このお金は社員が働いて稼いでくれたものだとわかったのだと言います。

また、日本電産の永守重信氏は、「お金が手に入ったときにこんなもののために働いていたのか、1億円を越えたら全部同じ。10億でも100億でも」と言います。「お金のためだけには働けない」と。年収が1億円を超えないとなかなかわからない感覚かもしれませんが、お金のためだけに働くとなぜかうまくいかなくなるのです。本当にお金をもうけられるようになった人はお金のためだけに働かないようです。もう、使いきれないくらいあるわけですから、ある意味当然ともいえます。

経営の目的に気づくには、人それぞれのステージがあるのだと思います。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、ある程度の経済的豊かさがあってはじめて、次のステージに行けるのかもしれません。

食うや食わずの生活を続けながら経営理念を唱えることもできますが、やはりつらいものです。「ふくれた財布が素晴らしいとはいえない。しかし、カラの財布は悪いのだ」という言葉がユダヤの格言であります。創業のときにお金に苦労した経営者や資金繰りで大変な思いをした経営者ならお金の大切さを身に染みて感じていることと思います。

私も独立して会社をつくった時のあの怖さを、ときどき思い出すことがあります。何の売上のあてもなく、妻と子どもがいて独立をする。「売上が立たずにこのまま行ったら、いったい自分と家族はどうなってしまうのだろう......」と体を縛りつけられたかのような恐怖感を味わいました。それは、創業した人なら誰にでもある経験かと思います。そういった恐怖の中で心の支えとするものが経営理念なのかもしれません。

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